『 ミッドサマー 』基本情報
『 ミッドサマー 』2019年 (原題:Midsommar)
監督:アリ・アスター 主演:フローレンス・ピュー 制作国:アメリカ/スウェーデン
『ミッドサマー』あらすじ
アメリカの大学生女子ダニー(フローレンス・ピュー)の妹が両親を道連れに自殺した。突然家族を失った苦しみからなかなか立ち直れないダニーは、翌年の6月、ボーイフレンドのクリスチャン(ジャック・レイナー)らと共にスウェーデンを訪れることになる。留学生のペレ(ヴィルヘルム・ブロングレン)の故郷ホルガ村で行われる夏至祭の、90年に一度の大祝祭を見るためだった。
夜でも暗くならない白夜の明るさの中、森と草原のステキな景色と白い服を着た穏やかな人々に歓迎されたアメリカン大学生たちだったが、実はここの村と大祝祭には色々と怖いことが隠されており、怖い思いをすることになるのだった
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『ミッドサマー』の感想
ミッドサマーを今頃になって見た私(おそい)
「ヘレディタリー/継承」の監督の新作だと言うから、ちゃんと映画館に見に行くつもりたったのに、なんか時間が合わなくて結局行けず
今年になってやっとスカパーで見ました。日本公開からなんと2年も経ってしまっていた 年を取ると本当に月日の経つのが早いものです
2年前に最初にこの映画のことを聞いた時に思ったのは、「なんか『ウィッカーマン』(1973年のと2006年のと2つある)と似た感じじゃないか?」ということでしたが
「そこをどう『ウィッカーマン』と違う感じに仕上げてるのかな」と思ったけど、実際見たら割と普通に似てた(笑)
でも考えてみると、こういうのはもうパクりだとかそういう風なことではなくて、そういう「ジャンル」になってると言えるんじゃないかなと
例えばゾンビものとか吸血鬼ものとか作っても、それはパクりじゃなくてオリジナルとして扱われるわけですし
だから「ウィッカーマンと似てる」という点は、自分としては許す!と考えております
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この映画、ヒロイン役のフローレンス・ピューのもったりした感じの体形が良いですね。『羊たちの沈黙』のときのジョディ・フォスターなんかもそうでしたが、顔は美しいけど背は高くなくて割ともったりした体形なところが絶妙に良かったんですね。これがスラ~っとしたモデルみたいだと合わないんですよ
なんで?って言われると説明が難しいんですけど、そういうもんなんです!としか(笑)
また顔の美しさも、いかにも男うけのいいタイプとは違って真面目そうな、ある種清潔な美貌であるところも共通してます
これが、ヒロインと映画そのものの「格」を上げるんですよね 主演女優を上手く選んでるなぁという感じがします
ここから先はネタバレ感想です。ご注意ください
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映画が始まると、まずアウトサイダーアートみたいな感じの絵(左から右へ、この映画のストーリーの進行が描かれている)が出てきますがもうこれだけでコワい(笑)こういう感じの絵や装飾が劇中にいろいろと出てきますが、これが実によく描けてます。素朴さと可愛らしさと不気味さが混ざり合っていて、この映画の雰囲気を作り上げています。
冬の日に、不気味なメールが妹から届く。妹は双極性障害を患っている。おかしいと思って何度も返信したり、実家に電話もするけど応答がない。ヒロインのダニーはボーイフレンドのクリスチャンに電話をするが、電話をしながら泣いてしまっている。もうかなり前から妹のことがダニー自身の精神も弱らせていることが分かる。
ここで観客が「エッ」ってなるのが、彼氏の方ではもう1年も前からダニーと別れたいと思っているという事実…… 家族の悩みの愚痴や相談ばかり聞かされてたら気が重いし、楽しくないし、付き合ってる意味が分からないという気持ちは分かります
そしたら、ダニーの妹は両親を道連れに自殺してしまっていて、ダニーはいっぺんに家族を失うことになり、クリスチャンにすがって激しく泣く。
(この、「家族を失って泣くシーン」は『ヘレディタリー』にもあったなというのが思い起こされる。『ヘレディタリー』でトニ・コレット演じる母親が、娘の死に絶叫しながら床に這いつくばり「死にたい、死にたい」と言って泣くところは、「家族が死んで泣く」なんて演技はもう散々見てるはずの観客も本気で胸が痛くなるような、悲しさが鋭い刃物のように迫ってくる優れたシーンでした。
あれ、アップにしないで少し離れたところから逆光で撮ってるのがいいんですよね)
……というように『ヘレディタリー』に続いてこの『ミッドサマー』でも、この監督は「家族が死んで泣くシーン」を撮るのが上手いんだなと思いました。ここでもやはりアップにはしないで、薄暗い室内で離れた所から徐々にズームしていくけど最後は窓の外を映すので表情ははっきりと見えない。ヒロインの痛ましい泣き声が響き、外では激しく雪が降っていて、この半年ぐらい後に向かうことになる6月のスウェーデンと対照をなしている。
ここで観客がゾクッとするのが、これで彼氏はダニーと別れられなくなってしまったということ。別れよう、言わなきゃ、と思ってた所に彼女が家族を亡くし打ちのめされていて、追い打ちをかけてトドメを刺すなどできる筈がなく見捨てる訳にはいかなくなってしまった。この間の悪さ、内心のモヤァ……とした感じが観客の心をもモヤモヤ……と蝕んでいく感じがします
この、「彼氏は別れたがっている」という点が、この脚本の良い所なんですよね
これただ単に「ヒロインが家族を亡くしてトラウマ状態だけど普通に円満な彼氏とスウェーデン行って怖い事が起きる」じゃない所がすごくいいと思います。
![couples](https://kansou.ushikoseisou.net/wp-content/uploads/2022/02/quiet-afternoon-together.jpg)
この2人の間のズレや気まずさは所々に表れる。付き合ってどのくらいかと聞かれて、彼氏は「3年半と少し」と答えるが、ダニーは「4年と2週間」と訂正する。(「2週間」まで数えて覚えてるところがなんか怖いな、と観客は感じる)
彼氏は逆らわず、すぐに「そうだった、ごめん」と言う。アメリカ映画では何かというと女の人が怒り出し、男女が声を荒げてギャーギャー言い争う場面が出てきますが、この2人は最後まで絶対に言い争うことをしない。
お互いへのモヤモヤを隠して気をつかった会話をし合うのが、見ている観客の中にもこの種のストレスの感覚を鮮やかに蘇らせる。この「リアルな感じ」が、この映画は非常に上手いと思います。
割り切り過ぎな人々
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祝祭が始まると、年寄りが断崖から飛び降りてご臨終となった。
この村では72歳を過ぎたらそうするのが昔からの風習で決まっているとのこと……
最初に飛び降りたおばあさんは下の石舞台みたいなのに上手く激突して一発で亡くなるが、次に飛び降りたおじいさん(ビョルン・アンドレセン)は少しずれた位置に下半身から落ちて苦しそうにうめいている。村人が杵みたいなのを持って近づき、顔面をバカーンと打ってトドメを刺す。
いきなりそんなもんを見せられたアメリカン大学生たちは激しいショックを受けるが、日本には「楢山節考」があったりとか(笑)、トドメを刺すのも「切腹に対する介錯」と考えると、アメリカ人よりは日本人の方がここの村を理解しやすいのかもしれません←そうだろうか
ところで、ここの村だけで子孫を残していると血が濃くなってしまうので、それを避ける為に村としては外部の血が欲しい。そういう意味でダニーの彼氏クリスチャンは目をつけられる。
映画の最初の方で、例のコワカワイイ絵柄で「ラブストーリー」が描かれているという横断幕みたいなのが出て来ますが
その内容は……女性が男の食べ物に自分の下の毛を入れたり飲み物に経血を混ぜる「愛のまじない」を行うと、2人は結ばれて子供ができる、というもの
これは、実際にクリスチャンがされる事の説明になっている。
皆で夕食(と言っても白夜なので超明るい)のミートパイを食べ始めると、クリスチャンは自分のパイに毛が入ってる事に気付く。それもあるけど観客はクリスチャンの前に置かれてる飲み物の色に気付いてしまい
色!飲み物の色!一人だけ違う!入れられてる!
志村後ろーー!!
という気分になるのであった
他の皆の飲み物は黄色くてグレープフルーツジュースの色なのに、志村じゃなかったクリスチャンのだけ赤っぽくてピンクグレープフルーツの色になってる
入れられてるよ……と観客は思うのであった
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ここの村の人は、死と生について(性についても)非常に割り切った考え方をしている。
年を取ったら飛び降りればいいじゃない!子孫を残すために、種をもらえばいいじゃない!というような
アメリカ人は(てゆーか、ホルガ村民以外は)とてもそんな考え方はできない。個人の生命は大事だし、子供は愛する人と家庭を持って作るのが理想である。
ホルガ村民がそういう考え方をできるのは、彼らが共同体として生きているからなんですね
愛する人と家庭を持って、白いフェンスのある素敵な家に住んで、犬を飼って、子供を作って……というアメリカの理想は、言ってみれば自分と自分の持ち物(家族も持ち物)を他人から守る為の砦を作ろうとする努力であり、ホルガ村民には「自分個人の、自分だけの〇〇を他人から守る」必要がないということなんですね
【映画『ミッドサマー』の問題点】
この映画を見てて心配になるのは、「これ、スウェーデン大丈夫なのか?」ということ……
まぁアメリカとスウェーデンの共同制作になってるから、いいのかな……とは思うものの、架空の国じゃなくスウェーデンの村に行って!こういう事になりました!って「大丈夫なのか」という気がしてくる
そりゃフィクションだし、娯楽映画だし、「この映画の中ではそうだというだけ」なのは分かるんだけど、これもし舞台が日本で「日本の山奥の村に行ったらこういう事になりました!」って映画作られたら、「どんな山奥に行こうがそんな村はねーよ!」って言いたくなるんじゃないかと……
……って、ちょっと思ったんですけど、
でも「これがアフリカだったら!パプアニューギニアだったら!こんな映画は許されるのか!」という批判を想定してみると
「でも、現にこの映画の舞台はアフリカでもないしパプアニューギニアでも日本でもないからね」という事に気付き
要するに、「西洋人同士だから大丈夫」なのかなと……
同じ西洋人なのに……というのがこの映画の怖さの肝なので、そこを「もし別の国だったら」という仮定の話で問題視してもあんまり意味はないのかなと、いう気もしました(スウェーデンとしてはこれはオッケーなのか?という問題は残るが)
価値観からの解放
アメリカン大学生はダニーとクリスチャンの他にマークとジョシュがいる。マークは村の神聖な木(村人の遺灰もここに撒く)に立ちションをしてしまう。
昔オジー・オズボーンがテキサスのアラモ砦で立ちションして出入り禁止になったのを思い出しました(笑)酔っぱらってたせいでやったんで、シラフだったらやらなかったと思いますが その頃のオジーに「シラフの時」なんて無かったかもしれない
オジーの話はいいとして(笑)マークの冒涜的行為に村人(特に特定の一人)は怒るが、それでもせいぜい怒鳴ったりその後ずっと睨みつけてたりする程度であり
もし私が「やられた方の立場」だったらその場で掴みかかって殴り倒すぐらいはすると思いますが、ここの村の人は穏やかなんだなと分かる(笑)
まぁその後でマークを始末してましたけど(笑)でも表面上、波風を立てるのを好まないというのは日本人と似てるなと思いました(笑)
ジョシュの方は、人類学の論文を書くために村の神聖な書をこっそり写真に撮ってて始末される。
アメリカンの他にロンドンから来たコニーとサイモンというカップルもいたが、彼らも始末されている。
村では祝祭の女王を決めるダンスが行われ、ダニーも参加させられる。メイポールの周りをぐるぐる回って踊り、最後まで倒れずに踊っていた者が女王(メイクイーン←芋みたい……)となる。
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ダニーが優勝して祝祭の女王と決まる。よそ者であるダニーをダンスに参加させ、優勝すればそのまま女王として認めるここの村の人たちは心が広いんだなと分かる(笑)
女王として扱われるダニーとすっかり距離ができてしまい疎外感を感じているクリスチャンは女の子に誘われるままついていき、「種つけの儀式」をすることになる。
そこでは女の子とクリスチャンを村の女性が全裸で取り囲んで応援してるんですが、
「出た!全裸」と思った(笑)
「『ヘレディタリー』でも全裸出てたよな……この監督、全裸が好きなんだな」と思いました
人間は、普段目にする事がない物を異様に感じる。異様な物は恐怖の対象となる。アリ・アスター作品において「全裸」とは「恐怖のツール」なんだろうなと思いました
たぶんですけど、『ミッドサマー』の次の3作目のアリ・アスター作品にも全裸が出て来るだろうと予想します(笑)
クリスチャンが他の女の子と性交しているのを目撃してしまったダニーは取り乱し、嘔吐して慟哭する。村の女の子たちがダニーを取り囲み、同じように嘆きの声を上げて叫ぶ。これは「共同体としての共感」を表してるんですね
おじいさんが飛び降りた時に上手く一発でご臨終できず、苦しい声を上げた時に村人たちも同じようにうめいたのと同じ事をしている
ダニーに共鳴して同じ声を出すというのは、もうダニーが「ここの一員」になっているという事を示しているのであった
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さて、大祝祭では9人の生贄が必要である。アメリカンのマークとジョシュ、ロンドンからのコニーとサイモン、これで4人
ホルガ村からも同じ人数を出すので、これで合計8人
もう一人を、抽選で決めた村民にするか彼氏であるクリスチャンにするか、女王であるダニーが選ぶことを求められるんですが
ダニーは黙ってるけどもう明らかに「クリスチャン」という顔をしてる(笑)実際にクリスチャンを選ぶと宣言する所は省略されてるんだけど、顔を見ただけで分かるという ここも優れたシーンですね
で、クリスチャンは熊の毛皮を着せられて9人目の生贄として三角の建物に入れられ、生きたまま燃やされることになる。キリスト教化される前の北欧の価値観(と思われる)によって焼かれる彼の名前が「クリスチャン」なのは示唆的です。
不適切というか不謹慎というかだけど、なんと美しいシーンであることか。何かが燃えるのを見ると人間は不思議なカタルシスを覚えるものなのかもしれませんが
恐怖が美しい。この、「美しい」という面で『ミッドサマー』は『ヘレディタリー』の上を行ったと思います
9人の生贄を入れた三角の建物が燃え上がると、村民たちは笑ってるのか泣いてるのか分からない狂騒状態となる。
ダニーも最初泣き声を上げていたが、建物が焼け落ちる頃にはすべての苦しみが浄化されたかのように微笑みを浮かべるのだった。
この、ヒロインの最後の笑顔が本当に素晴らしい。私にはダニーがとうとう自分の文化の価値観から解放された表情に思えて、このラストシーンにはとても感動しました。
ラストシーンで選ぶ自分の中のナンバーワン映画というとビリー・ワイルダーの『お熱いのがお好き』なんですが、この『ミッドサマー』のラストシーンも自分の中でかなり上位に行くと思います
まぁ感動しました!とは言っても、それはあくまで映画として感動したというだけで、現実に「自分の文化の価値観から解放される」のが良い事だと思ってるという意味ではありません。私は「自分の生まれた文化の価値観は大事に守るべき」と思っています。
それは、人間は自文化の価値観を超越して生きていられる程大きな存在ではないと考えるからです。
所詮は、自分の文化自分の社会の中に属しているからとりあえず命が無事でいられるんだと、その程度のスケールの存在であることを謙虚に自覚すべきなんではないかと
映画の観客としての我々は無責任なものです。日頃映画の中の犯罪や暴力を応援さえしながら見ている訳で、あくまでそういう無責任な観客として私は『ミッドサマー』に感動したけれども
そもそも人間を生贄にするなんて良くないし、年寄りは自決しろ!とか、73歳ぐらいなんてまだこれからインスタとか始めたっていいような年ですし(笑)まだ若いですからこれからいくらでも第二の青春とかを楽しめる年だと思います。
劇中のアメリカン大学生たちは、お年寄りが飛び降りた時点で自分の常識に従って走って逃げればよかったのに(まぁ、村に来た時点でもう手遅れで、帰してはもらえなかったかもしれませんが……)「いやでも、異文化を尊重することも大事だし」かなんか言ってるうちにズルズルと深みにはまっていくことになる
異文化を理解できないからと言って怪物扱いするのはよくないです。だから異文化は「悪」ではないが、自分にとって「害」になりうるというのは是非とも理解すべきポイントだと思います。
自分の常識は、違った常識を持つ者に対しては通用しない。常識が通用しないということは、こちらの「善意」が通用しないということです。
こちらは善意で「文化が違っても、同じ人間なわけだし」と考えたとしても、向こうはそうは思ってないかもしれない。しれない、というか個人的には思ってない確率の方が高いと思う。同じ人間だなんて考えず「獲物」としか思ってないかもしれない。
たとえ言葉が通じ、表面的に愛想がよかったとしても。まさにホルガ村の人たちのように……
そういう大事なことに気付かせる面があるとしたら、この『ミッドサマー』は大変教育的な映画でもあるんじゃないかと思います
ところでラストシーンの後のダニーはどうなったんでしょうか。
村に残って、ペレ(留学生、アメリカンたちを生贄にする為に連れて行った張本人)と結婚したかもしれません。そういう意味で、彼女も村に外部の血を入れる為に選ばれたのかもしれないですね
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というわけで、これがこのブログの記念すべき(?)最初の感想となりました。
最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。
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なんか感想っていうより「解説」になってしまったような気も……
スイマセン
と、謝って済ませようと思います