
劇場で予告編を観たのがきっかけで、「アレ……これ、意外といいかもしれない……?」と思って心の中の「映画館に観に行くリスト」に入っていました。
というわけで観てきたのだが
『たべっ子どうぶつ THE MOVIE』基本情報
『たべっ子どうぶつ THE MOVIE』(2025年)
監督:竹清仁 原作:ギンビス 主演:らいおんくん
ゲスト菓子:うまい棒/ポリンキー/よっちゃんイカ/タラタラしてんじゃね~よ 他
『たべっ子どうぶつ THE MOVIE』あらすじ
「たべっ子どうぶつ」は「スイーツランド」の歌って踊れる人気アイドルグループであり、リーダーは「らいおんくん」である。
彼らがプライベートジェットでのワールドツアーから帰ってみると、スイーツランドの様子が変わっており「わたあめ」に支配されていた。その上映画オリジナルキャラの「ぺがさすちゃん」がわたあめに囚われてしまう。それから、らいおんくんのたてがみの一部にわたあめが融合し、寄生獣みたいになってしまう。

『たべっ子どうぶつ THE MOVIE』の感想
良い点
●「食べ物が劇場映画化された」という事実が画期的
●たべっ子どうぶつのキャラが3DCGになって大画面で動いてる所を見る経験
●大画面でギンビスのロゴと、「原作 ギンビス」というクレジットを見る経験
●豪華菓子ゲスト
●大塚明夫、大塚芳忠、関智一という豪華名優の声が聴ける
幼少期の家庭環境がどうしたこうした系
【ネタバレを気にしないで書きます。知りたくない人は読まないで下さい。】
どうなんでしょうか
内容をマジで批評?批判?したら「大人げ無いよネ~」って言われるんでしょうか??(笑)
「だって『たべっ子どうぶつ』の映画だよ?いいトシした大人がわざわざブログで内容にケチつけるって……」
という、白い目で見られてしまうのでしょうか(笑)そうやって批判を回避してるとしたら卑怯じゃないのかこの映画(笑)(笑)

大人げ無いよね~~
個人的に、この映画は最初の方ほど面白かったです。冒頭のアイドルとしてのたべっ子どうぶつのライブ場面、「壮大な画面だな~~(笑)」と思ったし、他の有名菓子がゲスト出演?カメオ出演?する所なども楽しめたし
でも正直後半眠くなってきた。ところどころ面白いと感じる箇所もあるんですが、
個人的には人間の子供キャラが出てきたあたりからウンザリし始めた。「え、人間いる?(必要?)」って思ったし(「街の人間たち」がモブキャラとして居るのはまだいいんですが) ま、脚本上重要な役目はあるんですけども
人間キャラでソウルフルなブラザー(ラスタ系?のニキとセット)が出ているのも「なんか、今流行りの特定の思想のアレなのかな」という感じがよぎったし
そう言えば、悪役は白人の男でしたね。なるほどね
どうなんだろうね、たべっ子どうぶつの映画にケチつける人間が大人げ無いとすれば、たべっ子どうぶつの映画にそういう今流行りの特定思想(だとすれば、ですが)入れてくる方もどうなんだろうね。
でもあのキャラって「ステロタイプ表現」に該当しないの?それはいいんでしょうか
思想どうこうを置いておいても、単に絵面として「たべっ子どうぶつ」のキャラたちとビジュアル的相性みたいな点で私には違和感がありました。
(だから冒頭のライブ場面とか、その後プライベートジェットの中でアイドルグループ内部のメンバー同士の嫉妬とか揉め揉めとかの場面はまだ楽しんで観てました。この段階ではビジュアル違和感がまだ無いから)
これはネタバレですが、最初味方側の感じで出てきた「教授」というキャラ(CV:大塚明夫)が実は敵の黒幕で状況の張本人だった訳なのですが、
コレがどうしてこういう人間になったのかという理由が、
「幼少期の家庭環境がどうたらこうたら系」だったんですよね
うわ出たよ、幼少期のトラウマが~、親との関係が~系
ってもう、心の中でス~~~っと引いた。いま令和だけどまだこんな事やってんだ!って思いました

昔『夢のチョコレート工場』(1971)という映画があり、その後『チャーリーとチョコレート工場』(2005)というジョニー・デップ主演の映画ができました。
私1971年の方の映画好きなんですけど(ジーン・ワイルダー名演!)、2005年のティム・バートン版を観たらウィリー・ウォンカに「幼少期のトラウマが……父親との関係が……」とかいう設定がつけられており
ハア?
ってなりました。なんかもう野暮というか、ティム・バートンも本当才能無くなったなと唖然とした思い出があります
思い出ついでにロックの世界も、1991年にニルヴァーナの曲がヒットしてから猫も杓子もグランジ・オルタナというペンペン草のような状態になってしまい、ニルヴァーナ自体は良いんだけど、そのフォロワーの猫や杓子が歌うのが「親がどうしたこうした……」とか「オヤジがどうしたこうした……」とかで、そういうのを見ては
「そういう事は家庭内で話し合って解決してくれないか?」と思ったものでした
たべっ子どうぶつ、思い返してみれば劇場で予告を観た時に「わたあめ軍団」が敵で悪役……という所に引っ掛かりは感じてたんですよね。でも心の中で正常化バイアス(??)が働いて、
「でも劇場版って大抵は悪と戦う話になるから。ラスト近くで悪役が巨大化するから。それはしょうがないんじゃない」
って、その「引っ掛かり」を流してしまったんだよね。
ちゃんと引っ掛かっておくべきだったよね!
一番最初にフッと浮かんだ疑問や予感は大事にするべきだ。後で正しかったと分かる場合が多い。これは人間相手にも言える
『Flow』という映画があってですね……
ラトビアのCGアニメで、動物しか出ない、セリフが無い、「悪役や敵役を出さないために」大洪水という災害が出てくる映画でした。なんかそれを思い起こしちゃったよね……

たべっ子どうぶつの映画と『Flow』較べんなよ。立ち位置が違うんだから……立ち位置が……
「悪役」「敵役」を出さない作品って凄いなと日頃から思ってるんですよね。アニメ『けいおん!』とかね
けいおんの世界の「敵」は実は目に見えない「時間」なんですよね。しかも時間は絶対に倒すことができない敵で
……いや「けいおん」を論じてる場合じゃないですね(爆)
どうなんだろうね、幼少期の家庭が悪かったから、親が悪かったからこういう哀しい悪い人間になりましたっていうのも、ある意味「家庭に恵まれなかった・或いは家庭が無かった」人に対して失礼にならないのかね。
家庭に親に特段の問題も無く恵まれて育っても悪人になる者もいるし、結局人それぞれとしか言いようがないよね。
ニコラス・ケイジと結婚した人なんて、小学生の頃から10年も施設で育ったんだそうですが、しっかりしたマトモな人だと思います

流石にニコラス・ケイジの奥さん持ち出すのは草
~ 終 ~

急に終わるなオイ

鑑賞前に「今日映画観に行くんだよね~☆」と思ってセイコーマートで買った原作